『勤番武士の心と暮らし』を読了した。
国枝外右馬(とうま)という勤番武士が,1年と2ヶ月の江戸勤番中に国元の家族に宛てた手紙集『江戸詰中日記』
これを地元の郷土史家が解読したものだ。
とても興味深く読むことができた。
なかでも一番興味深かったというか,あきれたこと。
44歳の男盛りが単身赴任。しかも花のお江戸。
遊女屋に出入りしたり吉原を冷やかしたり,という場面が出てきて,そりゃまあそういうこともあるだろうと思ったのだが,
「まてよ・・・」これは日記という名は付いていても,実際は家族に宛てた手紙。読むのは奥方。
それなのに,
どんちゃん騒ぎのあと「・・・それぞれの部屋に静まり,型のごとく紙入れ,手ぬぐい,煙草さし,土瓶,お茶,煙草盆と整え,帯と上着は屏風の上へ,これより後のことは筆を止めにしておく・・・」など書いて。
著者も「ここまで事細かに奥方に知らせるのは如何なものかと,江戸時代の感覚が不思議である」と書いているが,私も同感。
「外右馬殿,それはちと如何なものかと」
今で言えば,飲み歩いて最後はソープランドでシメ???
そんなこと,恐ろしくて女房殿に言えるわけがない!
江戸時代が不思議な時代なのか,外右馬殿が不思議なのか,ついでに奥方も不思議なのか。
やっぱり江戸はおもしろい。
05月04日(金)15時35分|酒井博
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『勤番武士の心と暮らし』を読んでいる。
こういう史料を読んでいると『時代考証』の重みをひしひしと感じる。
よく言われるのが『藩』という言葉。
これは幕末に『藩塀』という,志士たちの流行語から明治になって一般に使われるようになった言葉で,江戸時代に公式に用いられたことはない。ということは広く知られていること。
でも,小説などでは「土佐藩の○○でござる」などの表現が平気で出てくる。
今読んでいる『勤番武士の心と暮らし』は,当時の勤番武士が家族にあてた手紙。まぎれもない一級の史料。
これによると「尾州様」「土州様」など,国持ち大名は国名に様付け。同じ国持ちでも同名があれば「長府毛利様」となり,国持ちでなければ「小野出羽守様」「立花主膳様」と官名をつけて呼んでいる。
また,家来には『藩士』という表現はなく『尾州様御家来』という表現になっている。
屋敷も『藩邸』ではなく『御殿』と書かれている。
『藩』という言葉はまったく出てこない。
時代考証というのは,こういう史料を丹念に収集解読することによって確実性を増すのだと思うと,この道の有名無名の研究者の努力に頭の下がる思いだ。
それにしても,小説で『藩』の言葉が使われるのはなぜだろう。まさかこういう時代考証を知らないわけではないだろうに。あえて『藩』としたほうがわかりやすいからだろうか。
でもそれでは,知って読んでいる人間としては興ざめだ。
やはり,時代考証は正確なほどいい。
この『勤番武士の心と暮らし』に書かれてあることは,すでに知っていたことがらが多い。でもそれを知り得たのは,これまでこのような史料を丹念に解読して世に発表してくれた研究者がいてくれたからだ。
このような一級な史料に偶然にも出会えたことと,真摯な作品を書いて下さった郷土史家の著者に感謝したい。
04月26日(木)19時22分|酒井博
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書棚の本が底をつき読む本がなくなってしまった。と思ったら,去年の秋偶然見つけ書棚に置いていたままになっていた本があるのに気づいた。
『勤番武士の心と暮らし』
私の住む町の隣町,そこの郷土史家ご夫妻の作品。
この町の武士が江戸勤番中に家族に書き送った絵入りの手紙を,この武士の子孫が偶然発見し,図書館に寄贈しそれを解読したもの。

こういう作品は,
『元禄御畳奉行の日記』や『下級武士の食日記』さらには『幕末下級武士の絵日記』などがあるが,これらの作品と比べても,当時の勤番武士の暮らしぶりが生き生きと伝わってきそう。

まだ読み始めたばかりなので,十分なことは言えないが,ふんだんに絵が挿入されており,第1級の史料といっていいのかもしれない。
著者のご夫婦は80歳になられるようだが,長年地元の史談会で勉強を重ねた末での出版。その向学心に頭が下がると同時に,なんと素晴らしいライフワークをお持ちなのだろうとうらやましくなってしまう。地元の書店でしか手に入れることができないようだが,メジャーになってもおかしくない本が,ひっそりと「知る人ぞ知る」という本のままでいるのもいいなと思う。
こういう本の性質上,一気に読み上げるというわけにはいかないだろう。少しずつ丹念に読んでいきたい。
04月23日(月)21時35分|酒井博
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