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『勤番武士の心と暮らし』は一気に読むというたぐいの本ではないので,少しずつ読み進めていくつもり。
本来の読書は小説。宇江佐さんの『彼岸花』をこちらは一気に読了した。
どの作品も人との関わりや別れを通して,新しい人生に踏み出していこうとする主人公を描いている。
第1話「つうさんの家」・・・老婆つうさんに預けられたおたえ
第2話「おいらのツケ」・・・隣人夫婦に育てられた三吉
第3話「あんがと」・・・・・4人の尼僧と尼寺に捨てられたおと
第4話「彼岸花」・・・・・・母と妹を許せないおえい
第5話「野紺菊」・・・・・・痴呆の姑の世話をするおりよ
第6話「振り向かないで」・・親友の夫と不倫するおくら
表題作の「彼岸花」は切ないけれど,残された人々を励ましてくれる。
「つうさんの家」ではおたえがつうさんとの関わりの中から成長していく姿が微笑ましく,最後ではつうさんの限りない愛情が伝わってくる。
「あんがと」はおとに関わる4人の尼僧の個性が楽しい。
やはり宇江佐さんの作品は安定感がある。当たり外れがない。だから安心して読めるし期待通りの読後感をもたらしてくれる。
04月30日(月)10時39分|宇江佐真理
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今日も午前中出勤。午後から久しぶりに師匠のお宅へ。
元は仕事先の上司で5年前に定年退職。私が勝手に『園芸・木工・その他諸々』の弟子入りをしたのが20年ほど前。
その師匠,自宅は市内中心部にあるのだが,実家が郊外の旧家。
先祖伝来の家を保持しながら蔵を改造して,いわゆる『男の隠れ家』にしている。うらやましい!
ところがこの師匠,その隠れ家でじっとしていない。
30年も前から,自家の裏山に『つつじ』を植え続け,いまや公園と呼んでよいほどになっている。

先週が満開で,一番鮮やかな霧島という赤花はもう終わっていたのが残念。

けっこう急な斜面。道を造るところから始め,階段も。

こちらは山の反対側。

今年も苗木を100本ほど植えたらしい。
多趣味な人だが,何をするにも徹底している。到底かなわない。
「古文書を解読して出版する」
「面打ちに精魂傾ける」
「つつじの公園を作り続ける」
いつまでも夢を持ち続ける人生っていいよな。
04月29日(日)19時17分|地元情報
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きのうも休日出勤。夕方は土日おきまりの散歩。
お気に入りのコースは『武家屋敷通り』

全国各地にある有名な武家屋敷通りと違って,こじんまりとささやか。でもそのおかげで観光客もなく落ち着いた雰囲気です。
その通り沿いに,立派な長屋門のお屋敷があります。

その左側,かつては中間部屋だったのでしょうか,そこが『神楽』の面打ちの工房になっています。

左の脇に入り口があり「こんにちわ~」
入ると壁いっぱいに神楽のお面がずらり。

作業スペースはこのように。

この工房にお邪魔するようになったのは2年前。
散歩しながら「ここは何だろう?」と思うぐらいで,面打ち工房とは気づかなかったのですが,ある日覗いていたらフラフラッと入り込んでしまったのがきっかけ。
面打ち師のご主人は,子どもの頃から神楽に親しみ,若いときから独学で面を打っており,定年後にこの長屋門を借りて工房にしたそうです。
プロ級というよりも,すでにプロそのもの。
あちこちの神楽保存会や趣味の愛好者からの注文が多いと聞きました。
うらやましいライフワークです。
実はその時,大学生のうちの息子が大けがをした直後でした。
そこで,こういう本当に神楽を愛している人が打った面を飾れば,きっと厄払いになるのでは。と思い当たり制作をお願いすることに。
何のお面にしようか,と飾られている物のなかから選んだのが『恵比寿様』
きっと笑顔が幸せを運んでくれるだろうと。
注文から完成まで約2ヶ月。この期間が楽しみでたまりませんでした。散歩で通りかかる度にのぞき込んで「まだかな~」
そしてできあがったのがこちら。

玄関に飾っています。
昨年は娘が一人暮らしを始めるときに,でっかいストラップというぐらいのサイズの,こちらは『天手力男命』(あまのたぢからおのみこと)まぁ,いわゆる『鬼』を作ってもらいました。
そして今回は高校生の次男のために『猿田彦命』(さるたひこのみこと)いわゆる『天狗』
こちらは手のひらサイズで,でもしっかり板に付けて飾れるようにお願いしました。
できあがりまで1ヶ月とのこと。楽しみです。
ちなみにお値段は玄関に飾ってあるものが6~8万円程度。
手のひらサイズで8千円程度。ストラップタイプが2千円。
お好みでいろんなサイズに対応してくれます。
04月29日(日)14時02分|地元情報
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『勤番武士の心と暮らし』を読んでいる。
こういう史料を読んでいると『時代考証』の重みをひしひしと感じる。
よく言われるのが『藩』という言葉。
これは幕末に『藩塀』という,志士たちの流行語から明治になって一般に使われるようになった言葉で,江戸時代に公式に用いられたことはない。ということは広く知られていること。
でも,小説などでは「土佐藩の○○でござる」などの表現が平気で出てくる。
今読んでいる『勤番武士の心と暮らし』は,当時の勤番武士が家族にあてた手紙。まぎれもない一級の史料。
これによると「尾州様」「土州様」など,国持ち大名は国名に様付け。同じ国持ちでも同名があれば「長府毛利様」となり,国持ちでなければ「小野出羽守様」「立花主膳様」と官名をつけて呼んでいる。
また,家来には『藩士』という表現はなく『尾州様御家来』という表現になっている。
屋敷も『藩邸』ではなく『御殿』と書かれている。
『藩』という言葉はまったく出てこない。
時代考証というのは,こういう史料を丹念に収集解読することによって確実性を増すのだと思うと,この道の有名無名の研究者の努力に頭の下がる思いだ。
それにしても,小説で『藩』の言葉が使われるのはなぜだろう。まさかこういう時代考証を知らないわけではないだろうに。あえて『藩』としたほうがわかりやすいからだろうか。
でもそれでは,知って読んでいる人間としては興ざめだ。
やはり,時代考証は正確なほどいい。
この『勤番武士の心と暮らし』に書かれてあることは,すでに知っていたことがらが多い。でもそれを知り得たのは,これまでこのような史料を丹念に解読して世に発表してくれた研究者がいてくれたからだ。
このような一級な史料に偶然にも出会えたことと,真摯な作品を書いて下さった郷土史家の著者に感謝したい。
04月26日(木)19時22分|酒井博
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私の住む町は中心部にはそれなりの商業施設などもありますが,ちょっと車を走らせると山と田んぼの田園風景。
その田舎に住む知り合いから電話があったのが3年前。
「鹿の頭あげるよ」
ん? 『鹿の頭』?
「大好物の『鹿刺し』かな?」でもそれだったら『頭』とは言わないはず。
イノシシだったら『猪鍋』用に頭で出汁をとるかもしれないけど,『鹿鍋』って聞いたことないし。
だいいち,でかすぎて入る鍋もないよ。
「こんにちは」
「いらっしゃい,はいこれ」
と言って渡されたのがこれ。

う~ん,たしかにまぎれもない『鹿の頭』
でもこれって,角がメインでしょ。だったら『鹿の角』って言ってくれればいいのに。
何はともあれ珍しい物なのでありがたくいただいたという次第です。
ただ,その時いただいたのは『鹿の頭と角』だけ,板にはくっついていません。
「このままじゃ飾れないな」ということで,
まずホコリをきれいに払って,ラッカーシンナーを3度塗り重ねて骨を固めます,それから歯をボンドで固定。そうしないとぽろぽろ落ちるんです。
それから板。
実は私,板や根っこを磨いたりするのも趣味のひとつ。
ちょうど頃合いの『ケヤキ』の板があったので,サンダーできれいに磨いてニスを塗り重ねて,小さい穴を通して『頭』の堅いところと針金で固定。
玄関にど~ん。
でも,ちょっと失敗したかな。
ケヤキの板が小さいような…。ちょうど収まっていいかなと思ったのですが,こういう場合,板の方がメインになるくらい大きい方が,逆に『鹿の頭と角』の存在感が引き立ったかもしれないですね。今度大きい板(できればケヤキ)が手に入ったらやり直してみます。
04月25日(水)16時58分|おやじ日記
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書棚の本が底をつき読む本がなくなってしまった。と思ったら,去年の秋偶然見つけ書棚に置いていたままになっていた本があるのに気づいた。
『勤番武士の心と暮らし』
私の住む町の隣町,そこの郷土史家ご夫妻の作品。
この町の武士が江戸勤番中に家族に書き送った絵入りの手紙を,この武士の子孫が偶然発見し,図書館に寄贈しそれを解読したもの。

こういう作品は,
『元禄御畳奉行の日記』や『下級武士の食日記』さらには『幕末下級武士の絵日記』などがあるが,これらの作品と比べても,当時の勤番武士の暮らしぶりが生き生きと伝わってきそう。

まだ読み始めたばかりなので,十分なことは言えないが,ふんだんに絵が挿入されており,第1級の史料といっていいのかもしれない。
著者のご夫婦は80歳になられるようだが,長年地元の史談会で勉強を重ねた末での出版。その向学心に頭が下がると同時に,なんと素晴らしいライフワークをお持ちなのだろうとうらやましくなってしまう。地元の書店でしか手に入れることができないようだが,メジャーになってもおかしくない本が,ひっそりと「知る人ぞ知る」という本のままでいるのもいいなと思う。
こういう本の性質上,一気に読み上げるというわけにはいかないだろう。少しずつ丹念に読んでいきたい。
04月23日(月)21時35分|酒井博
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あとがきを読んだら「戦国ものでは,蜂須賀小六,細川幽斎,織田信長を手がけた」とある。
佐藤さんの作品はほとんど読んだつもりだったが,シリーズものに目がいってこれらの歴史小説に気がつかなかった。だが待てよ,もしかして「蜂須賀小六」は・・・,やっぱり。
『楼岸夢一定 蜂須賀小六』佐藤さんの作品だったんだ!
もう10年以上前のはず。確かに読んだ。
「歴史小説らしからぬ面白い文体だな」と感じたのをおぼえている。
当時佐藤さんはまだ売り出し中で,佐藤さんだから買ったわけではなく「蜂須賀小六」を題材にしたのが面白そうだったからだ。そのため佐藤さんが作者だったとは今の今まで知らなかった。
「幽斎玄旨」と「信長」は読んでいない。幽斎はともかく信長物はちょっときついなぁ。
『千世と与一郎の関ヶ原』
「関ヶ原を通して千世と与一郎」を描こうとしたのか,
「千世と与一郎を通して関ヶ原」を描こうとしたのか。
前者を期待していたのだが,読後感では後者のようだ。それはそれで面白く書けていた。もし千世と与一郎を登場させなかったら司馬関ヶ原と大差なくなってしまう。
読みようによっては千世と与一郎というプリンセスとプリンスの戦国に翻弄された悲劇ということになるのだろうが,佐藤さんのあっさりとした文体が悲劇を淡々とした風景に変えており「まぁ,戦国の時代なんだから仕方ないよな」という気にさせられる。そこが戦国の戦国たる所以か。
2人の悲劇よりも細川幽斎,忠興,与一郎の3代の生き方・考え方の対比が興味深かった。生きた時代がわずかに違っただけで大きな相違が出たのかもしれない。
佐藤さんが福島正則や加藤清正をアホ扱いするのは当然として,石田三成もこき下ろしているのは意外だった。たしかにこの作品で検証されている史料からみれば将の器ではないと感じざる得ないが,実像はどうだったのだろうか。
ちなみに,我がふるさとの殿様は幽斎が籠もる丹後田辺城攻めに参加するも途中、東軍に寝返った。しかし関ヶ原には遅刻。藤堂高虎のとりなしでなんとか改易を免れている。
関ヶ原に興味は尽きない。
04月22日(日)16時40分|佐藤雅美
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猫の額ほどしかない庭ですが,今『つるバラ』が満開です。

このつるバラは15年ほど前,私の『園芸・盆栽・木工』の師匠の庭のものを,「トゲがないので小さい子どもがいても危なくないよ」と言われ,挿し木にして分けてもらったものです。
当時は園芸店にもあまり置いていないほど珍しかったのですが「危なくない」のが好評だったのでしょう,瞬く間に普及しました。
朝から風が強かったのですが,この写真をとった直後から雨も降ってきました。
明日の日曜日,西日本は大荒れの予報。まさに『晴耕雨読』の読書日和になりそうです。
04月21日(土)17時53分|園芸
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『千世と与一郎の関ヶ原』を読んでいる。
まだ序盤なのでどんな関ヶ原になるのか今後次第だ。
心配していたのは,関ヶ原のような歴史的ターニングポイントを題材としたときに,避けて通れないのが『司馬遼太郎』という怪物というか神というか・・・,歴史小説を書くうえでの最大の課題。これをどう克服したかどうか。
いまのところ,司馬作品の二番煎じという印象はない。
佐藤さんらしい軽快な文体が独自の雰囲気をつくっている。
それにしても「豊臣秀吉ってどんな人?」と思ってしまう。
前野将右衛門の最期は,やるせない気持ちになってしまった。
秀吉の人物像を簡単に言い表せることはもちろんできないが,かれの生涯を小説や映画で見るとすれば,せいぜい『清洲会議』まで。それまでの人生は魅力いっぱいだと思う。よほどに人間的な魅力と才能に満ちあふれた人だったのだろう。しかし,地位と財産を手に入れたとたんに誰しも『老醜』という魔物にとりつかれてしまうのか・・・。
そうはなりたくないな,と思いつつ,
「あっ,そっか,俺には守るべき地位も,譲るべき財産もなかったんだ」
04月19日(木)21時26分|佐藤雅美
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桜の散ったこの頃が一番悩ましい季節です。
『熱燗』はさすがにきつくなってきた。『冷や』には早いような。もちろん『直し』は早すぎ。
もちろん,気温差の激しいこの季節なので,その日ごとに飲むものを変えるのですが,それが楽しみでもあり悩ましくもあり。これまでの時期は迷うことなく『熱燗』だったのに。
たまに『直し』(焼酎プラス味醂)は飲むものの,根っからの日本酒党の私が熱燗でも冷やでも飽きることなく「旨い!」と言いながら飲み続けているのが銘酒『西の関』

右はすでに空になっていますが…。

左が『花』と名付けられているいわゆる「佳撰」昔で言う『2級酒』
右が『上』と呼ばれる「上撰」昔で言う『1級酒』
昔から『西の関』は2級酒のほうが旨かったんです。今ではほとんど味に差はなくなりましたが,わずかに『上』の方が甘く感じるかな。ご多分に漏れず『本醸造』や『大吟醸』『純米酒』もありますが,やっぱり『花』か『上』ですね。
定価は少し『上』の方が高めですが,実際売られるときは流通の関係でしょうか,ほぼ同じか時には『上』の方が安いときもあります。
2本あるのはそれぞれ安いときに買ったから。
1升瓶だと冷蔵庫に入れにくいので,以前ペットボトルに入れて冷やしていたら当時高校生だった娘が『ポカリ』と間違えてグビッとやってしまって,家内に大目玉を食らったことがあります。それに懲りて今では空にした5合瓶につめ替えて冷やしています。
そうこうしているうちに決まりました。今夜は『冷や』
04月18日(水)18時24分|お酒
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佐藤さんは『縮尻鏡三郎』や『居眠り紋蔵』など肩のこらない,でも味のあるシリーズものが楽しみだが,長編にはスケールの大きい力作が並ぶ。
『星雲遙かに~大内俊助の生涯』は半端な長さではなく,読むのにちょっとした覚悟のいる分厚さだったが,その長さを感じさせないおもしろさに一気に読んでしまった。
この『千世と与一郎の関ヶ原』もかなりの分厚さ。でも出だしは快調だ。
題材からいうと,これは時代小説というより歴史小説と言った方がいいのだろう。
関ヶ原といえば,これも正月テレビ時代劇だったか,司馬原作の『関ヶ原』を思い出す。
加藤剛の石田三成,森繁久弥の家康。三成を悪役として描かなかったのが好印象だった。
そして最高の演技が,国広富之の金吾中納言。「こんな若造のせいで天下の行方が決まってしまったのか」と歯ぎしりしながら見たものだ。
さて,佐藤さんのこの作品はどんな関ヶ原なのだろうか。
04月17日(火)19時44分|佐藤雅美
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表題作の『富子すきすき』は吉良上野介の妻富子からみた赤穂事件とその後。彼女の無念さが伝わってくる。
そもそも赤穂浪士の討ち入りは『仇討ち』ではないはず。内匠頭が吉良に殺されたのならば赤穂浪士の行為は仇討ちと言えるが,内匠頭は吉良に殺されたわけではない。
忠義という観点から見れば「殿様は吉良を殺したかった。でも殺せずに自分は切腹させられた。さぞかし心残りだろう。ならば家来の我らが殿に変わって吉良を殺そう。そうすれば殿の願いも叶えられる」ということになるのだが,赤穂浪士の一方的な言い分だと言えなくもない。吉良方にしてみれば迷惑もはなはだしい。
ばかとのでも家来は忠義を尽くす「君,君たらずとも,臣,臣たるべし」の典型か。大石もさぞかし舌打ちしたことだろう。
それでもやはり『忠臣蔵』は日本人の心をくすぐらずにはいられない。
私のお気に入りは1985年の年末時代劇スペシャル。これはよかった。
あおい輝彦演ずる赤埴源蔵徳利の別れ。森繁久弥の吉良上野介が敦盛を舞って討たれる最期。そして最高のシーンが討ち入り直前,里見浩太朗の内蔵助が瑤泉院に別れを告げる南部坂雪の別れ。レンタルでもう一度借りて見てみたい。
もちろんこれらのシーンは『富子すきすき』には出てこないが…。
この『富子すきすき』を含む6作どれも宇江佐さんらしい佳作。
最期の『びんしけん』は私のようなおじさんには心にしみる。
04月15日(日)18時30分|宇江佐真理
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宇江佐さんの『富子すきすき』を読み始めた。
京の町を書かせたら澤田ふじ子さん。江戸の町を書かせたらやっぱり宇江佐真理さん。
どの場面を切り取っても立派な絵になっている。
この作品は6編の短編集。表題作の『富子すきすき』は忠臣蔵がテーマのようだが,これは3作目に登場する。まだ最初の2編『藤太の帯』『掘留の家』を読み終えたばかり。
『藤太の帯』は町娘たちのあいだを巡っていく,俵藤太の百足退治の柄がほどこされた帯の不思議。
『掘留の家』は同じ境遇に育った若者と娘の運命と心憎い結末。
残り4編。読んでしまうのがもったいないような期待感でいっぱいだ。
04月14日(土)22時08分|宇江佐真理
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この作品のひとつのウリは『料理』のはず。
なにしろ主人公は御膳所御台所人,今は一膳飯屋を営んでいるという設定なのだから。
ところが,その肝心の料理,これがいけない。何が?
以前,何かの本で読んだことがある。店の外まで匂いが漂う『ウナギ屋』と,きれいに匂いを始末し外まで匂わない『うなぎ屋』と,どっちが客が来るか。
答えは『匂い』
料理は匂いが命ということ。たしかにそうだと思う。
ところがこの作品,読んでいてもその匂いがしないのである。
いくら旨そうに書いていても,匂わなければそれは料理としての魅力はゼロ。
『みをつくし』シリーズと比べればその差は歴然。
やはり,主人公がどれだけ苦労してきたかどうかの差だろう。
「旨い」と言わせる料理などそう簡単に作れるものではないはず。そのことを理解せずに安易に料理人を登場させる作品は金輪際読むことはないだろう。
04月12日(木)22時04分|荒崎一海
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今日,何の気まぐれか『剣菱』を買いました。
私は日本酒はいつも『西の関』です。この『西の関』ほど旨い酒はないと思っています。
でも,今日あらためて思いました。
『剣菱』のコクのある辛口。辛口というと「キリッと辛口」という言葉に形容される,旨みのないただ辛ければいいというイメージがありますが,さすがに『剣菱』は違いますね。
辛口と旨みという相容れない二つの要素を見事にマッチングさせています。
はじめて『ジャックダニエル』を飲んだときに「これが男の飲む酒だ」と感じさせてくれた,あの感じと一緒です。つまり「飲んで感じる」酒なんです。
『西の関』は理屈抜きに「旨い」酒。
もちろん,どちらが上かという比較ではありません。
酒を味わうのか,それとも,飲んで何を感じるのか,その違いだと思いました。
今,ほろ酔いです。
04月11日(水)21時21分|お酒
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荒崎一海さんの『しだれ柳』を読み始めた。
一膳飯屋「夕月」を営む晋悟は御膳所御台所人,片桐家の勘当同然の三男坊で妻も子もある境遇。
第1話を読んだ限りでは,この晋悟が「夕月」を舞台に難事件を解決という設定のようだ。
荒崎さんの作品は『闇を斬る』シリーズをたしか4作目まで読んだと思う。1作目2作目はたしかに面白かったのだが,それ以上はちょっときつかった。荒唐無稽の展開になってしまったからだ。つまり読んでいて「ありえないだろう」と思ってしまう。
もちろん小説,しかも時代小説なのだからすべて創造ではあるのだが,明らかな時代考証の間違いやあまりにも非現実的になってしまうと興味が失せてしまう。
今回の『しだれ柳』はどうだろう,主人公が剣の達人過ぎるのが気になるが。
04月10日(火)18時09分|荒崎一海
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きのうは快晴でぽかぽか陽気。桜も満開は過ぎたもののまだ楽しめそう。
そこで,車で30分ほどの城下町へ。この町では以前骨董屋さんでカンピンや盃を買ったことがある。

現存する畳櫓(右)と門脇櫓(左)
私の住む町も城下町だが,城は山城のため縄張りは狭い。一方この城は平山城のため縄張りも広くふだんから公園として親しまれ訪れる人も多いようだ。
特にこの日は春祭りということで,多くの花見客で賑わっていた。

私も着てみたい・・・。
すると,甲冑姿の一団が・・・。
この日は『鉄砲保存会』による火縄銃の実演会があったらしい。でも私が来たときにはすでに終了したあと。残念!
実は私も火縄銃を1丁,刀を一振り持っているのだが,もちろん鉄砲は実射したことはあるはずもなく,せめて見てみたかったのだが。

5年前オークションで購入。
04月09日(月)17時14分|おでかけ
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安住洋子さんの『いさご波』読了。
5編とも『沙(いさご)の波』『暁の波』とすべて波が表題につく。
どの作品も味わいがあるが特に最後の『澪の波』が清々しい。
13歳の少年が主人公というのも時代小説では珍しいが,少年から青年へと成長していこうとするその純粋な心理を巧みに描いている。
安住さんの『日無坂』で,勘当された主人公が父が亡くなる前日に偶然すれ違う場面がある。その場面が実に鮮明に浮かび上がってくる。
今回の5編でも,それぞれの印象的な場面が自然に浮かび上がってくるから不思議だ。平易な文章を丹念に吟味して書き込んでいるからだろう。
『澪の波』でも,最後の少年が走り続ける場面が目に焼き付く。
今後ますます楽しみな作家だ。
04月08日(日)17時43分|安住洋子
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安住洋子さんの『いさご波』を読み始める。
安住さんは寡作で,これまで『しずり雪』『夜半の綺羅星』『日無坂』の3作しか文庫化されていないが,3作とも読んでいる。どの作品もじわっとくる読後感が得られる。
この作品は5編から成る短編集だが,今その2編まで読んだところ。
これまでと同様の読後感だ。佳作といっていい。
第1編の表題にもなっている『いさご波』は赤穂藩を浪人した武士の息子が,苦労の末に仕官を果たしたものの安穏な生活を一変させる試練。その時とるべき道は忠義か恩義か。
つまり,武士として生きる(死ぬ)のか,それとも人として生きる(死ぬ)のか。
このテーマは山本周五郎が開拓し,藤沢周平が確立した時代小説というジャンルが追い求めてきたテーマと一致する。
ということは,今ある時代小説は山本周五郎と藤沢周平を抜きにしては語れないということを,この安住さんの作品を読んでしみじみと思わざるを得ない。
偉大なり,山本周五郎,そして藤沢周平。
04月07日(土)21時31分|安住洋子
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私は春夏秋冬,晩酌を欠かしたことがない。
冬はもちろん『熱燗』
夏は『冷酒』
自他共に認める日本酒党だ。飲み会でも幹事さんが気を利かせて私の前にお銚子を並べてくれる。
ところが3年ほど前から,夏は時々『直し』を飲むようになった。
焼酎をみりんで割り,冷やしていただくというもの。
山本一力さんの小説によく登場する。
となれば,江戸気分を味わいたい私としては飲まずにいられない。
これを知り合いに話すと「焼酎とみりんなんて気持ち悪い」と言われてしまうのだが,これがなかなかどうして,けっこういけるのである。
夏限定の飲み物なのだが,今日は気温も上がり汗ばむほど。おまけに夜は焼き肉。熱燗気分にはなれず今年初の『直し』に。
ただし,みりんで割ると言っても,みりんが多すぎると甘すぎてダメ。悪酔いの元。ほんのちょっとみりんを足すという感じがベスト。
明日は気分爽快の朝になりそうです。
04月06日(金)21時26分|お酒
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志水辰夫さんの『みのたけの春』読了。
この作品の一番のすばらしさは『みのたけの春』というタイトル。
まさにこの作品にこれ以上のタイトルはないだろう。
骨太なのに細やかな筆致で情景を映し出し,何組かの親子・兄弟姉妹の生き方を通して,人はどう生きるべきなのかを考えさせてくれる作品。
「毎年毎年繰り返されている春。それがいままた目の前にある。
この風景のなかに,自分のすべてがあるといまでは思っている。すぎてみれば,人の一生など,それほど重荷なわけがない。変わりばえのしない日々のなかに,なにもかもがふくまれる。大志ばかりがなんで男子の本懐なものか」
とくに「大志ばかりがなんで男子の本懐なものか」という言葉。忘れられない言葉になりそう。
この作品が志水さんにとって初めての時代小説。その後『青に候』『つばくろ越え』を発表。その3作とも読んだがどれも気持ちのよい作品だった。すでに『つばくろ越え』に続く『蓬莱屋』シリーズは第2作と3作が発表されている。文庫化が待ち遠しい。
04月05日(木)17時53分|志水辰夫
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志水さんの『みのたけの春』中盤にさしかかりました。読みごたえ十分。
幕末の激動の時代に片田舎に住むが故に,国事に奔走したいと血気にはやる若者たちがいるなか,病気の母を大切にしながらまさに「みのたけ」にふさわしい生き方をしようとする主人公に「春」が訪れるよう応援しています。
いっぽうで不運な友との関係が今後主人公の人生にどのような影響を与えるのか心配にはなります。
この作品の登場人物の数ですが今の時点で34人。歴史小説は多くなって当然ですが,時代小説にしては多いほうだと思います。そこで登場人物や関係をメモしながら読み進めているのですが,それを煩わしいとは感じません。
無駄な人物ではなくみな必然性のある登場だからでしょう。
そういえば「登場人物の多い小説を読むと脳の活性化につながる」という意見を聞いたことがあります。たしかにそうかもしれません。ボーッと読んでいたらたちまちごちゃごちゃになってしまいますから,いやでも集中します。
トルストイの『戦争と平和』の登場人物は559人だそうです。
私も学生時代に読んでみました。ノートに人物名や関係図をメモしながら読んでいくのですが,途中でわけがわからなくなってギブアップ。もう一度挑戦してみたいという気持ちが半分,そうは言ってもまず読むことはないだろうという気持ちが半分です。
04月03日(火)17時39分|志水辰夫
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朝から快晴。きのうから地元の春祭りが始まったが人混みは苦手。
ということで昼前からふらっとドライブ。向かった先は車で1時間半ほどの『観音様』


数百メートル前から小高い山(丘?)の上に観音様が現れたときはちょっとだけ感激。

その山を登っていくと原色の鉄筋コンクリートなのであまりありがたみはありませんが・・・。
この観音様のふもとがお寺。つまりでかい観音様はオマケのようなもの。
ここの薬師堂には998体の薬師像が安置されています。思わず手を合わずにはいられません。
お寺は西暦554年創建。この薬師像は室町時代につくられたそうです。


規模は京都の三十三間堂には及びませんが,人々の祈りは決して劣ってはいないと感じました。
04月01日(日)16時42分|おでかけ
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