こういう史料を読んでいると『時代考証』の重みをひしひしと感じる。
よく言われるのが『藩』という言葉。
これは幕末に『藩塀』という,志士たちの流行語から明治になって一般に使われるようになった言葉で,江戸時代に公式に用いられたことはない。ということは広く知られていること。
でも,小説などでは「土佐藩の○○でござる」などの表現が平気で出てくる。
今読んでいる『勤番武士の心と暮らし』は,当時の勤番武士が家族にあてた手紙。まぎれもない一級の史料。
これによると「尾州様」「土州様」など,国持ち大名は国名に様付け。同じ国持ちでも同名があれば「長府毛利様」となり,国持ちでなければ「小野出羽守様」「立花主膳様」と官名をつけて呼んでいる。
また,家来には『藩士』という表現はなく『尾州様御家来』という表現になっている。
屋敷も『藩邸』ではなく『御殿』と書かれている。
『藩』という言葉はまったく出てこない。
時代考証というのは,こういう史料を丹念に収集解読することによって確実性を増すのだと思うと,この道の有名無名の研究者の努力に頭の下がる思いだ。
それにしても,小説で『藩』の言葉が使われるのはなぜだろう。まさかこういう時代考証を知らないわけではないだろうに。あえて『藩』としたほうがわかりやすいからだろうか。
でもそれでは,知って読んでいる人間としては興ざめだ。
やはり,時代考証は正確なほどいい。
この『勤番武士の心と暮らし』に書かれてあることは,すでに知っていたことがらが多い。でもそれを知り得たのは,これまでこのような史料を丹念に解読して世に発表してくれた研究者がいてくれたからだ。
このような一級な史料に偶然にも出会えたことと,真摯な作品を書いて下さった郷土史家の著者に感謝したい。