「永遠のゼロ」の記事に,大分ナシカさんが
寄せてくれたコメント。
かぐや姫の『あの人の手紙』 を思い浮かべる,と。
『戦争を知らない子どもたち』 の時は,
まだ,戦争の意味も知りませんでした。
『あの人の手紙』は,中学の頃・・・。
南こうせつさんは,今も大分に住んでいます。
永遠のゼロと昔のトラトラトラの話を、友達としていました。
この歌も良く聞いたな。。
(私は貝になりたい)も、、。
父は戦争へ行きました。生き延びてくれて、私がここにいます。
私にとっては、「赤ちょうちん」でしょうかねえ。
浪人しているとき、友達と寒風の夜を歩いていたら、中州の歩道に屋台の赤ちょうちんが見えました。
さびしい思いが胸の奥から沸き起こってきたことを覚えています。
フォークには、マイナー調が多かったですよね。
おはようございますぅ(^^)
こうせつさん、大分にいはるんですか~♪
お兄さんがやっておられた「ハローグッバイ」には
友達に連れられてよく行ってました~(学生でしたけど^^;)
父は特攻隊に志願していました。
戦闘機をバックにしたセピア色の写真もあります。
だからというわけではありませんが、私は「お父さん」という歌が好きです。
おはようございます♪
私の父も学徒動員で戦地に向かう直前で終戦になりました。
絶対に繰り返してはいけないのが戦争ですね。
私達の時代、学校でも戦争の悲惨さはしっかり学ばされました。
今はどうなんだろう・・・
語り継いでいかないといけないですよね。
信州の別所に「無言館」という戦争で命を落とした画学生
が家族に宛てた手紙や絵が収蔵されている美術館があります。
胸がしめつけられる思いでした。
都会の4畳半や6畳のアパートに住んでいる頃、
こうせつさんの歌は心にしみましたね。
赤ちょうちんとか聞くと、あの頃行っていた
銭湯を思い出します。
こんばんは!(^^)!
この歌を聞いて今の若い方たちが戦争の悲惨さ人と人が殺めあうことの醜さを学んでくれたら嬉しいです。
ご家老様恥ずかしいな(笑)
「私は貝になりたい」
さすがにフランキー堺のは見てませんが,
所ジョージのドラマで見ました。
あまりにも理不尽でしたよね~。
私が学生時代住んだアパートも,
木造のおんぼろアパートでした。
ただ,いっしょに暮らす恋人は・・・,
もちろんいませんでした。
日出町に住んでますよ。
農業しながら音楽活動もしてます。
「お父さん」もいい歌ですよね。
ライブ盤で何度も聞きました。
私の住む町は,かつて軍港で,
真珠湾攻撃の連合艦隊が出発したんです。
記念館があって,特攻に行った人たちの遺書なども
展示されています。涙です。
私も大阪で,5畳っていう
変な間取りのおんぼろ下宿に住んでました。
銭湯代がもったいなくて,
3日に1度でしたね~。
かってにナシカさんの名前を
使っちゃいました。お許しを。
なんか最近,きな臭い話題が多いですね~。
変なことになってほしくないです。